自称「コミュ障」の人たちの心理とは? ほんとうにコミュ障なの
初対面の人が集まる場所などに行った時に、「僕はコミュ障なので」という前置きで話をスタートする方を見たことはないでしょうか?
話をしているとそれほどコミュニケーションが取れないわけでもない、会話のキャッチボールもそれなりにできているのに「自称コミュ障」という方おられますよね。
では、なぜそのような自称コミュ障の方は、先程のような振る舞いをするのでしょうか。
今回はその心理を紐解いていきたいと思います。
1:そもそも、コミュ障とは?
自称コミュ障の方のことをお話しする前に、言葉の定義を見ていきましょう。
コミュ障とは、「コミュニケーション障害」の略語のことです。
ただし、コミュ障といった場合は「コミュニケーション能力に障害を持つ人」のことではなく、「他人とのコミュニケーションが苦手な人」を指し示すことが多いです。
コミュニケーションの障害には身体機能上の原因(アスペルガー症候群、自閉症などの発達障害やADHDなど)や、聴力の問題、発音がスムーズにできないために会話に支障をきたすケースがあります。
それに対して心理的な原因のものがあります。
こちらは過去のコミュニケーションの経験から出てきた苦手意識などによって人間関係に恐怖を感じていたり慎重になりすぎているケースです。
今回は後者の心理的な原因に絞ってコミュ障について考えていきます。
自称コミュ障の方の中には、本当に過去のトラウマなどから対人関係の構築が苦手な方もいるでしょう。
多くの方は教育や親子関係などで完璧さを求められる環境に身を置いてきたことや、あるいは思春期などの人間関係で起こった悲しい出来事を引きずってしまうことが原因となります。
こちらは一つ一つ丁寧に自分の過去を棚卸しするなどをして、見直していくことが解決への糸口になるかもしれません。
ところが、コミュ障を自称する方の中にはここまで重度ではないのに周りにコミュ障だと伝えてしまう方もいます。
2:なぜコミュ障を自称してしまうのか?
それでは、なぜ自分のことをコミュ障だと話してしまうのでしょう。
それはコミュ障と自称することで得られるメリットがあるからではないでしょうか?
今回はコミュ障と伝えることで得られるメリットを2つあげてみました。
2-1:コミュニケーションに予防線を張ることができる
自分はコミュ障であると公言することで得られるメリットの一つが「コミュニケーションの予防線を張ることができる」ということです。
仮にコミュニケーションがうまくいかなくても、相手に対して「この人はコミュ障なんだから仕方がないかな」と思わせることができます。
また何よりも自分自身が、「コミュ障なんだから失敗してもダメではない」と思えることが大きいです。
また、逆にコミュニケーションがうまく行った場合には「コミュ障な割にはうまくいった」と自分の能力をより高くアピールできます。
自称コミュ障をセーフティネットのように使って、コミュニケーションをよりうまく進めるために利用することができるのです。
2-2:共感を得てつながりを作りやすい
初対面の方が多い中で、コミュニケーションを円滑に堂々と取れる人の方が少数派なのではないでしょうか。
多くの人は人見知りを発揮したり、会話のきっかけを掴むのが難しかったりとなかなか上手く話せないと思います。
そんな中で自分はコミュ障だと自称することで、その場にいる「自分も話すのが苦手だな」と思っている人たちとの共感をとることができます。
人は共通点がある人に興味や好感を持ちます。
同じ町の出身や、同じ業界の仕事をしている人などは知らない間柄でも何となく親近感を持ちますよね。
それがパーソナリティなどの価値観の部分で共感すると尚更、親しみを持ちます。
コミュ障というのは、その場にいる同じようなコミュニケーションが苦手な人とつながるための良いツールなのです。
3:本当に自称コミュ障のままで良い?
先程の項目では、コミュ障を自称することで「予防線を張ることができる」「弱みを見せることで仲間を増やせる」というメリットをお伝えしました。
コミュ障と自分のことを呼ぶ人の心理にはこのようなメリットを享受したいという気持ちがありそうです。
本人がメリットを感じているので、それがダメだというわけではないですが、「本当にそのままの自分で良いのか」ということをご自身に質問されてはいかがでしょうか?
もしその答えが“NO”ならば、自分のコミュニケーション力を向上させる努力や、自分の弱みではなく素晴らしい長所で他人とつながるということを実践してみると良いと思います。
4:まとめ
今回は自称コミュ障の方の心理について考察してきました。
自分の在り方を決めるのは自分自身です。
自称コミュ障は決して悪いことではないですが、ご自身が納得するベストな自分を目指して行動されてみてはいかがでしょうか。